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テレビの力

ほぼすべての出来事がリアルタイムでニュースとして世界中に配信され、同時代人はこれを共通の体験として受け止めることが出来た。一方、東欧各国の共産主義政府は国営放送を一元的に管理下に置いていた。これは政府が国民の受け取る情報を一貫してコントロール可能であることを意味する(そのため、例えばルーマニア革命では革命勢力が真っ先に国営放送を占拠した)が、にもかかわらず、周辺地域において進行する一連の革命を国民に伏せておくことは出来なかった。国外からの電波、特に西側の衛星放送(エストニアではフィンランドのテレビ放送)が視聴できたためである。

こうして、次々と入ってくる周辺諸国での変革の情報が、東欧各国での革命をさらに進行させることとなった。ベルリンの壁崩壊を発端として、同年末までの短期間に東欧のすべての国の共産主義政権が連鎖反応的に倒れた背景には、このようなメカニズムがあったのである。

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革命の影響は、体制間抗争という側面を持った冷戦の終結をもたらした。特にベルリンの壁崩壊によって冷戦の最大懸案事項になっていたベルリン問題の解決に一定の目処が付いたのが理由としては大きい。1989年12月3日、マルタにおいてアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソ連共産党書記長(当時)のミハイル・ゴルバチョフが会談を行い、冷戦の終結が宣言された(マルタ会談)。冷戦の終結の意義は世界史的に見てもきわめて大きい。

「ベルリンの壁崩壊」、「冷戦の終結」、「ソ連の崩壊」のトリプルパンチは同時代人にとって価値観の大逆転であった。「核」の恐怖に怯えながらも、冷戦という対立構造は歴史学に「安定した時代」として安寧をもたらし続けていたのである。しかしこの「安定」が崩れると、その混乱は大きく、特に「近代」という枠組みのあり方に大きな議論を呼んだ。フランシス・フクヤマの言う「歴史の終焉」という考えもこの一連の中から出てきている。現在においては「冷戦の終結」までが「近代」という枠の中で捉えられているが、それ以前から行われてきたPostmodern(ポストモダン)という近代を批判的に捉える運動すら近代の枠組みに入ってしまうという混乱を招いた。つまり歴史学は、もう一度歴史の再点検を迫られたのである。

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2009年04月28日 10:39に投稿されたエントリーのページです。

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